2007.02.13 Tuesday

アルバイト。

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    tea at feal

    ちょっと遡って…。
    はじめてちゃんとしたアルバイトをしたのは高校3年の部活引退後。
    熊本の今で言う“上乃裏”にある洋食屋“歩小路”。厳しいオヤジがいて、やさしくもハスキーな声をしたシェフ、かなりのイケメン先輩と個性豊かな人に囲まれて、色々と人生勉強をさせてもらった記憶がある。
    (今では別の店舗になっていて、ちょっと切なかった…。)

    話を戻して、
    ダメダメニートからの脱却を計るべく、まず始めたのは近所のカラオケ&ビリヤード場。ここに決めたには理由があり、一つは近いから。そしてもう一つは…そう!!ビリヤードが出来ると思ってたから。(この頃、心底最低でした。笑)その後も色々やりました。警備員、夜関係、そしてカフェ(Afternoon Tea)。
    (このカフェでのバイトがのちのfealオープンにつながるのは言うまでもアリマセン。)
    なんとか人並みの生活に戻れ、ほっとしていたところにまた“転機”が!!

    ※写真はfealの窓側カウンター。このカップは以前にメインで使ってた“アレッシー”。現在は“柳宗理”のボーンチャイナ。(柳宗理はinterior shop rinにて取り扱いしております。)
    2007.02.12 Monday

    STOP!!

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      new york

      免許も取得し、彼女と楽しい時間を過ごしていた僕。
      そろそろ本腰入れて学校探しを!と思い、英国はロンドンの大学リーズの大学マンチェスターの大学に絞り、願書(?)を出す。
      ロンドンの大学は残念な結果だったが、リーズ、マンチェスターは編入OKな返事が!!
      で、University of Leedsに決めた。
      あとは渡欧準備だけだと思い、夏出発を目標に事を進めてた。

      そんな時…、あまり詳しく話しても“アレ”なので、簡単にいうと家の事情で行けなくなったのだが、当時の僕は自分のことしか考えてなく、「何て僕は不幸なんだろう…」ぐらい思ってた。(最低だった)
      今まで“こんだけ”自由にさせてもらってたのに…。
      それでも、やっぱ半年ほど落ちに落ちた。何も出来なかった。夢がなくなった気がした。本当、今でいうニートのような感じで半年過ごしてた。
      どうしようもない時に、一人だけ常に叱咤激励してくれてた、彼女。
      その時はうざくてしょうがなかった。
      それでも、諦めず「進もう、進めるよ。」的なことを常に言い続けてくれた。
      目標は何もなかったが“とりあえず”アルバイトを探した。続く

      ※写真はNew York。“ONE WAY”の標記に“STOP”の赤い手がこの時の心境っぽい。
      2007.02.11 Sunday

      熊本。

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        電車

        帰国してからは家族の温かさに甘え、僕の悪い方の“マイペース”が出て英国の学校探しもソコソコに、オーストラリアにはなかった日本のスピードについて行く楽しさでダラダラな生活に陥ってた。(他国に比べ日本は本当に情報も多いし、日本人は必要としていない情報まで追う習性があるように思う。…僕も含め。)
        3ヶ月ぐらい経った冬。
        高校卒業後、すぐに留学した僕は自動車免許を取っていなかったのでこの機会に自動車学校へ通いだした。

        そこで今の奥様と出逢う。
        (出逢いの詳細は後日書く。と思う。)

        彼女(現奥様)も出来、楽しい日本ライフを送っていた僕に予期していなかったことが…続く

        ※写真は熊本のチンチン電車。(熊本では市電と言う)
        2007.02.10 Saturday

        シドニーとのお別れ。

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          sydney2

          人間は環境に順応する。
          こんな僕でもシドニーでのリズムになんとか順応し、色々とこの先のことを考えれるようなった。そして学校を修了した後、どうする?って所で元々留学したかった土地“英国”が…。
          というのもその頃、“貿易関係の仕事”というより“とにかく海外で働きたい!!”という考えに変わり、よりチャンスのありそうなヨーロッパへ!!と思考がなっていったのです。(英国で働くというより、ヨーロッパで働きたい→ヨーロッパの中にある英語圏→英国)
          そして、一時帰国することを決意。
          シドニーとの別れの日前日。
          たくさんの仲間が僕のために集まってくれて、マロニーズで飲み騒ぎ、カラオケ“エコー”(?)でどんちゃん騒ぎ。
          本当、素敵な仲間ばかりでした。
          そして帰国の日、親友らが空港まで見送りに。
          別れたくなかった仲間たちだけど、皆それぞれ夢があり、いつかは違う道を目指す。頭で理解していても、心では完全に理解できず、それが皆感情に出て、涙を流す。
          心が弱かったこともあり、当時は帰りの機中で「選択を間違ったのかなぁ…」とずっと自問自答を繰り返してた。続く

          ※写真は“City”に住んでた頃の近所。
          2007.02.05 Monday

          pubでのダメダメ話。

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            street maloney's

            前回の話の中でpubのことにちょっとふれましたが、当時の仲間と行きつけのpub“マロニーズ”では日夜生活のための戦いが繰り広げられ…。(スロットマシーンや8ボールで全くの他人に勝負を挑み、散々な目にあったことも。今では良い想い出です。)
            酷い時は、スロットマシーンで生活費2ヶ月分を熱くなって「あと、10ドル…」と、なったところで…神が降りて来、3ヶ月分稼いだことがあります。
            (運だけは昔から良いみたいです。)
            調子の良い時は仲間と酔っ払いすぎて、セキュリティのごつい兄ちゃんに摘み出され、出入り禁止など…。逆に初めて行くpubなどではIDを見せないと未成年と思われ、入れないことも。(当時、僕は21歳です。)
            カレッジに入り、勉強についていくのがやっとで、相当ストレスが溜まってた…ということで。

            もちろん、今ではギャンブルはしませんし、賭けビリヤードなんて…。
            ちゃんと更生できました。
            次回はシドニーとのお別れへ…続く

            ※写真左の右下にある青い電飾看板が入り口で地下へ。
             写真右は店内。ここで生活費を…そんな想い出のある“Maloney's”。
            2007.02.04 Sunday

            そして、シドニー。

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              sydney

              シドニーについて、まず思ったこと。
              「しまった…」
              僕らは“楽園”から来た姿そのままでバスを降りた瞬間からかなり浮いた存在になっていた。恥ずかしい思いをしながら、先にシドニーに入ってた友達の家に向かい、そのまま家が見つかるまで居候させてもらうことに。(結局、3ヶ月ぐらいお世話になりました。)
              そして、学校
              とにかく、語学学校とは比べ物にならないぐらい大変で、レポート、レポート、プレゼンテーション…とにかく追われてました。
              ただ、学校に追われながらも、ちゃんと自分の“場所”を探すのは得意みたいで行きつけのpubを見つけ、学校帰りにはソコで日本人仲間とよく酒にギャンブルに溺れてました。(pubでのダメダメ話は次回。)
              ちょっとずつシドニー生活になれた頃、とにかく“楽園”に比べ物価も高いためバイトを探そうと思い、美味しいまかないゴハン目的で日本食レストランに!!シドニーは日本人も多いためバイト面接の競争率が高く、必死にアピール。(多少の経歴粉飾。)なんとか仕事を勝ち取り、その後、半年はシドニーの日本食レストランの厨房でうなぎの蒲焼担当とレアなポジションを楽しみながらやってました。(後にサーモンスキンの焙りも担当。)
              まだ、あるのかなぁ〜?“sushi kitchen DOMO”…。続く

              ※写真はシドニーにいる親友から送ってもらったもの。(最近のシドニーです。)
              2007.02.03 Saturday

              次のステップ。

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                cavilave

                元々、留学した理由は「貿易関係の仕事をしたい!!」と前々から思っていたから。
                楽園”での生活も本当に楽しかったが、次のステップに進むために学校探しをはじめた。
                そして、いくつか絞った中で理想的な学校をみつけた。その学校はシドニーにあるビジネスカレッジ。
                Williams Business College
                大丈夫かなぁ〜と思いながらも何とか合格。晴れてカレッジ生となる。
                そして、引越し。
                サーファーズパラダイスで出会った仲間たちと一緒に高速バス(貧乏学生で飛行機代をケチって、後に後悔。)でいざシドニーへ!!(確か27時間ぐらいかけての長旅だった。)

                最高に楽しく、最低な生活をしていたゴールドコーストに別れを告げ、レポートに追われ、生活費の資金繰りに目覚めたシドニー時代へ。続く

                ※写真はSurfers Paradiseのメインストリート“Cavil Ave”。
                2007.02.01 Thursday

                大変な生活、最低な日々。

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                  surfers paradise

                  ガレージのシャッターが自動で開き、足元から人影が見えてくる。
                  スリッパ、パジャマ、ガウン…そして、“イザベル”!!(ポルトガル移民のホストマザー)
                  ゆっくりした英語で“Are you Toshi?”の連発。そして僕はひたすらうなずくだけ。何を言ってるかさっぱり分からないまま、日本人特有の“愛想笑い”でその場をしのぎ、自分の部屋らしきとこに案内され、お土産を渡し(風呂敷や着物の端切れなど)イザベルが部屋から出た隙に突如“爆睡”。
                  起きたら日が暮れていた。(緊張などで疲れてたのかなぁ)
                  一時して下から“toshi〜!!”との叫び声が。その時に実感した。

                  「大変な生活が始まる…」と。

                  ホストファミリーはイザベルと、リッキーと…(兄ちゃんの名前忘れた…)。振り返ればめちゃくちゃイイ家庭に入ったなぁ〜と。(ホームステイは本当に当たりハズレがあるみたい。)

                  で、翌日は学校。
                  サーファーズパラダイスのど真ん中にある語学学校で日本人もめっちゃ多い学校だった。(ACLAの皆さん、元気ですか?)
                  もちろん、その後の半年は勉強はそこそこに飲む、ビリヤード、サーフィン、飲む、ビリヤード…と、最低な日々。(今は懐かしく振り返るも反省)

                  サーファーズパラダイスという土地ははワーキングホリデーで来る方が多く、どこに行ってもお兄さん・お姉さんたちで当時18歳の僕はドコに行っても、いつも子供扱いされてた記憶が。ただ、良くも悪くも変わった方が多く、そこで色々な人生勉強が出来、多少は人間力が上がったのかな?と思…われる。

                  そして、そんな最低な生活が半年ほど経った頃、“楽園”生活でもそれなりに英語力は上がり、真剣に将来のことを考え始めた。続く
                  2007.01.30 Tuesday

                  感動の時・緊張の時。

                  0
                    goldcoast

                    トランジット待つこと6時間、ようやく、オーストラリアへ。
                    機内の記憶は…なし。で、気がつけばオーストラリア・ブリスベン空港。
                    で、ココカラどうする…?って感じで二人で悩む。
                    とりあえず、エージェントにもらってたホームステイ先の住所を手に、“info”へ。片言で“I want to go this.”と言ったのが本場での僕の最初の英会話だったのを憶えている。(中学の時のアメリカは英会話って会話ではなかったような…)
                    言われるままにマイクロバスのような“coach”に乗り込み海岸線をゴールドコーストへ。

                    正に写真の景色。
                    圧巻だった。生まれて初めて景色に見惚れたかもしれない。
                    いい気分のドライブが1時間ほど続き、その後内陸の方へ。
                    僕のホームステイ先“Benowa”へ。…閑静な住宅街。しかも時間は朝の7時前。ドライバーに「ココだよ」的なことを言われたなぁ〜と感覚で思い、“coach”を降り、豪華な家の前に立つ。
                    10分ほど悩みインターフォンを押す…。続く

                    ※写真はゴールドコースト・素晴らしきビーチ。
                    2007.01.27 Saturday

                    オーストラリアへ…。

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                      fukuoka airport

                      旅立ちの時は、突然来る。
                      のは、僕だけかもしれませんが、本当に気がつけば…って感じの展開。
                      福岡空港で手続きのお世話になったエージェントと会い、共にオーストラリアのゴールドコースト・サーファーズパラダイスへ!!(…勉強をしに行くような土地の名前ではありませんね。笑)

                      と、思っていたらエージェントは福岡空港までで、その代わりと言っちゃ失礼だが、同い年の九州男児(福岡)が同じ学校に入るという事で二人旅に。
                      その時、初対面だったが印象は“最悪”。
                      気を使うということが全くない男で、その後の留学生活でも…。(今では親友です。笑)
                      二人とも英語は“モチロン”喋れず、トランジットで寄ったソウルでもひたすら黙ってタバコを吸うのみ。(現在はノンスモーカーです。)

                      めっちゃ不安になったのを憶えている…。続く

                      ※写真は福岡空港


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